BABYMETALの謎を解く

妄想で突っ走ってます!(◎_◎;

周縁としてのBABYMETAL救世主論

[本文、約2600文字] 小難しい上に超ツマンナイです。

 

中心と周縁

現象にしても物事にしても、そこには必ず全体を構成する「中心部分」「周縁部分」がある。

 

政治(国際関係)・経済・文化もこの例に漏れない。

つねに中心に位置する集団(国・民族等)と周縁とが互いに影響を与え合い、摩擦を惹き起こし、ときに巨大な歯車を動かすかのように版図と地位を入れ替えながら、世界は長い歴史を形作ってきた。

この大いなる変動を起こすきっかけ(原因)のほとんどは、中心部分の勢いの凋落に始まり、そして勃興する周縁の勢いが新時代を切り拓く。

 

音楽の世界もまた同様。

BABYMETALは周縁に位置し、今、世界の音楽地図を塗り替えようとしている。

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凋落したメタル

1960年代、アメリカで始まったメッセージ性を特徴とするロック/フォークは、その躍動感という音楽性も相まって、「体制」という中心に対するカウンターカルチャーとして、世界中の若者に「自分たちの言葉と音楽で世界を変え得る」という理想と希望をもたらした。

そして70~80年代に入りその音楽革命はパンク/メタルへと引き継がれた。

 

しかし、90年代以降、パンク/メタルは凋落した。

なぜか?

AggressiveでRebelliousであることこそ、真のメタルでありロックの中心であると考え、「多くの人々に伝える」という一番重要な「メッセージ性」を置き去りにしたからだ。

Noisyで極端な演出、ほぼ聞き取れないデスボイス他、その音楽性(メタル)こそ追及され、多くのサブジャンルを生み出したものの、肝心の「伝える」という大衆性を忘れ犠牲にしたために多くの若者の心はメタルから離れた。

(注:むろん、ロック/メタルの持つ躍動感・疾走感といったものを否定するものではない。さらに進化し先鋭化したといっていい)

 

皮肉にも、メタルが「真のメタル」を追求しロックの中心であろうとしたことが、そのままメタルを若者の音楽の中心から引き摺り下ろしたということだ。

 

理想と奔放な自由意志が

時代を切り拓く

これは見方を変えれば、社会の権威や常識、矛盾や不条理に対して、若者が自らの言葉と意志で理想と希望を実現しようという機運が失われてしまった、ということに他ならない。

 

もちろん、実際に世のシステムを変えることは容易ではない。

政治・経済ならなおさらだ。

だがしかし、若者が自分の未来を自由に語り、理想を思い描くことのできない社会というのも、人類の文明の進歩ということからすれば大いなる損失であることは間違いない。

歴史を紐解く限り、いつの時代でも時代の先端を切り開いてきたのは、既存の価値観=ルールにとらわれず、自由(無謀)な理想に燃える若者たちだったからである。

 

近年、欧米の貧困層の若者が、イスラム過激原理主義など宗教や極右など思想に、安易に走ってしまう現象は、こういったことも一因としてあるのではないか?と筆者は考える。

なぜなら、宗教や権威に自由意志を委ねることは、現状の不条理に対して自らの思考で考え、答えを導き出す努力を放棄していることに他ならないからである。

つまり、言うなれば「それはロックじゃない、メタルじゃない!」ということだ。

 

BABYMETALがメタルを救う

しかしながら、ここに忽然とBABYMETALという衝撃が現れた。

BABYMETALという存在は、今までのメタルが作り上げ固執してきた概念を、ことごとく引っくり返してしまった。

曰く、

①自分で作詞作曲していない。

②会社の企画されたものである。

③メロディー、歌詞はポップでキャッチ―である。

④10代初めの普通の女の子が歌い、しかも踊っている。

⑤なにより、かわいい。

 

これらの内、ひとつだけでもメタル純粋主義者にとっては青筋ものだ(笑)

しかし、逆にいえばこれらはすべて現状のメタル頭の凝り固まった概念をぶち壊す※1ものだ。

 

いや、言い直そう。

欧米の(日本の一部も)メタルエリートらが、今まで「真のメタルとはこうである」という既成概念を作り出してきた結果、メタルは多くの若者に見放され「中心」から凋落した。

しかし、今まさにBABYMETALは彗星の如く現れ、メタル/ロックの本質である「メッセージ性+大衆性」を引っ提げ、そしてメタルを若者の音楽の中心=メインストリームへと復権させるために、「周縁」から反逆の狼煙を上げたのだ※2と。

 

つまり、BABYMETALこそ、メタルの新しい時代を切り拓く救世主であるのだと。

 

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※1:いちおう反論を記す。

 反論①自分で作詞作曲はしていないが、その曲はゴリゴリのメタルであり、歌詞には

    メッセージが込められているのは周知の通り。つまり楽曲はメタルだ。

 反論②会社が企画したものであるが、すぅゆいもあの三人はそれ以前から人々に

    「想いを伝える」ということを目標としている。つまりメタルだ。

 反論③メロディー歌詞はキャッチーだが、メタルがポップでキャッチーで何が悪い

    のか?「こうじゃなければいけない」というならそれはメタルではない。

    否定するから、既成概念を壊すのがメタルだ。つまりメタルだ。

 反論④女の子がメタルを歌って踊ってはいけないのか?③もそうだが、メタルに

   「こうだ」という定義はない。つまり常識を壊しているからメタルだ。

 反論⑤カワイイ。これ以上の反メタルはない。つまりメタルってことだ(笑)

 

つまり、総じてBABYMETALは十分にメタルの本質を具えているということ。

 

※2:BABYMETALのスタートは、まさに「巨大アイドル勢力」という「中心」に対する「周縁」からの反逆であった。

 

※筆者の預言(←誰からの?笑)

ウェンブリーはほんの一里塚。本命は米国本土。本格的な攻略は3年後。

そこを越えたならばそこから10年、本当のLegendが始まる、と予想、、、じゃなかった、預言を受けたw

 

参考:中心と周縁について

以下の文章は、筆者がまだBABYMETALを知らなかった2014年7月、ある非公開サイトでやり取りした文章からの抜粋。

(注:gohan=筆者。なお相手の方もその時点では、BABYMETALを知らないので〝ベイビーメタル〟と表記しています。文中敬称略)

 

話があちこち飛んでいますが、中心と周縁の概念および問題点について参考になるかと思います。文字数は約5300文字ですw↑の本文より長いw

 

珊瑚

ようやく米国でドラえもんのテレビ放映が始まった模様

http://dng65.com/blog-entry-1152.html

 

アニメファンの間では受け入れられてるようだ。これは人気が出ると思うなあ。コンテンツも、まだまだたっぷりあるしね。テレビ版のドラえもんというのは、アニメというよりカートゥーンって感じだけど、劇場版のどらえもんになると、大人が観ても感涙でむせび泣くほどの感動巨編ばかりなんだよね。

 

gohan

そうですね、遅きに失したという感はありますね。

 

またまたズレますが、経済的な面はもちろんのこと、政治的にも大きな意味を持ってくるのではないかと思います。

アメリカの、ハリウッドを中心とした映画産業や音楽産業が、米国の重要な輸出産品の一つであるとともに、米国型自由主義思想を世界に浸透させる重要な広報・政治戦略の(えーまたまた言い方がわからないのですがw)武器となっていることは周知の事実。

 

以前、まだジャパン・アズ・№1といわれていた90年代初頭、ディズニー映画の「くまのプーさん」だったか、その中に海賊が日章旗をはためかせて登場したときは、見ていてびっくりしました。正直、露骨だなぁ~と思った記憶があります。

 

その後、日本経済は凋落の一途をたどって、アメリカの脅威の対象ではなくなったわけですが、しかし最近よくアメリカ映画を見ていて思うのは、韓国人俳優の露出度がとても多いなぁ、ということです。

 

映画はもちろん、連続テレビドラマでもよく目にします。

よく知られているように、カルフォルニアには韓国系米国人が多いので、それも当然といえば当然ではあるのですが、しかしその昔からメディアが政治や外交に利用されてきたように、そこに本国の政府の意図や意志は介在していないと考えることは、あまりにも単純すぎると、えー、個人的に思うわけです。

 

それが証拠に私たち日本の政府も、日本の文化を「世界に知ってもらおう」「日本の文化に親しんでもらって好感度?を上げよう」ついでに「経済的な利益も追求しよう」と、実際に「マンガ」や「カワイイ」「日本食」の海外展開を支援しようとしているわけですから。

 

そういう意味で、日本の姿勢は受け身過ぎた、遅きに失した感がある、

と冒頭で述べたわけです。

 

いずれにせよ、国益と策略が交錯する世界の場においては「誠実にしていさえすれば誰かが見ていてくれる」という謙虚さは、害以外のなにものでもなく、積極的に自己の立場と考え方を明確にした「自己アピール」が求められる、と考えます。

 

もちろん、「オレがオレが」の自意識過剰の自己中心的アピールは論外ですが。

故に、

 

『文化の輸出とは、他の手段をもってする継続的な侵略である。』

 

 

以下のもじりw

 

戦争とは他の手段をもってする政治の継続である──クラウゼヴィッツ「戦争論」

 

外交とはなべて、他の手段による戦争の継続である──周恩来

 

珊瑚

子供のころの私たちがパリやロンドンに対して抱いていたイメージ、それと同じようなものを、いまのアメリカ人は(もちろんアメリカ人でなく世界中の人が)、東京に対して抱き始めている。

 

その象徴がレディ・ガガのファッションで、ファッションやモードに関心のある人なら、あの奇抜なファッションが東京や原宿からインスピレーションを得ているのは誰でもわかる。レディガガ本人もそれを隠そうせず公言する。つまり、もうすでに、そのような真似っこが格好の悪いことじゃなく、カッコイイことになってるんだね。そして、その流れは今後もさらに人々の間に浸透していくだろう。ドラえもんを観て育った子供が大人になるころには、東京は世界の文化の中心地としての地位をさらに大きくしているだろう。

 

レディガガの大規模なコンサートの前座は、日本のバンドから選ばれる。今回はベイビーメタルが務めるそうだ。ベイビーメタルは、日本ではまだ知名度が低いが、すでに欧州では人気が出始めている。観客席は、ハードなメタルファンと、ちょっとひ弱なアイドルオタクたちが入り交じり、彼らが一体となって熱狂するという、一種、異様な光景である。w しかも、コアなメタルファンからもネガティブな評価がほとんどないというのが面白い。彼らにとっても、妹や娘を愛でる感じなのだろう。つまり、萌えてるんだな、ヘビメタの奴らが。

 

http://youtu.be/L_cP_f-q--o

http://youtu.be/z51-Nr8B-oE

 

gohan

 

【日本人の意識は中心国家になりつつあるか】

 

これは先のふと思ったものです。

まずは少々長いですが、SF作家のオーソン・スコット・カードが著書のあとがきで、大江健三郎の日本の純文学論を引き合いに、周縁と中心を論じている文章の中から、国家に関して述べている部分を引用します。

 

「(日本は)文化的には柔軟性に乏しいかのように見えながら、すれすれのところで中国文化による侵食をまぬかれてきた長い歴史をもっているため、近代において日本は他のどの国よりもたくみに、まるで最初からそれを信じたり実践していたかのごとく新しい思想や慣習を受け入れてなじませ、じつは極度にフレキシブルであるにもかかわらず、結果として、かたくなで不変であるというイメージを保ち続けてきた。(中略)

 

※小説のアイデアのメモより

「中心国家の民族はアイデンティティの喪失をおそれない。人はみな自分たちのようになりたがっているのであって、自分たちの文化こそ最高で、他はすべて稚拙な模倣か、一時的なあだ花だと頭から思い込んでいるからだ。おかしなことに、その傲慢さは飾り気のない謙虚さに通じる──彼らは自分たちの優越性を証明する必要を感じないので、大きな態度をとったり、大言壮語したり、威張りちらしたりしないからだ。彼らは急激な変化をしない。変化するとしても、自分たちはむかしとおなじだという態度をとる。

 

逆に周縁国家の民族は、自分たちの文明がもっとも高度なものではないことを知っている。ときとして、他国に侵攻し、掠奪し、そのまま支配し──ヴァイキング、モンゴル人、トルコ人、アラブ人がその例だ──そして、追いつき追いこせとばかり急激に変貌を遂げることがある──ギリシャ人、ローマ人、日本人がそうだ──また、相変わらずみっともない田舎者のままという場合もある。しかし、成り上がりの新興勢力というのは耐えがたいものだ。なぜなら、彼らはおのれの価値に自信がないため、なにかにつけて大風呂敷をひろげ、目立ちたがり、でしゃばりたがらずにはいられないからだ──中心国家になったという自覚が得られるまでは。だがあいにく、中心国家になったという満足は彼らの命取りになる。彼らはじつは中心国家などではなく、その気になったからといってなれるものではないからだ。おごり高ぶった周縁国家の寿命は長くない。エジプトや中国とおなじく、いずれは消え去る運命にある。勝利を手に入れたアラブやトルコやヴァイキングやモンゴルがつぶれたように。

日本はどうかといえば、ここはみずから永遠の周縁国家になったのだ。」──引用おわり

 

***

 

サテ、著者は(その正否はともかくとして)、日本は敗戦によって周縁国家の道を選択したと指摘しているのですが、しかし、文化的にはどうなのでしょうか?

 

一時期のアメリカを買収するかのような勢いであったバブル期以降、日本人の意識はかなり変容したのではないでしょうか?

アメリカから輸入された自由と民主主義を取り込み、あたかも昔からあったように振る舞い、アキハバラやJポップ・オタク・カワイイなど、日本発の文化に自信を持ち、新たな文化・思想を欧米から輸入する必要をまったく感じていないかのように見えます。

ことに昨今の平成生まれなど若い人には顕著のように思われます。

日本人は、文化的には周縁国家から中心国家に移行しつつあるのではないか?

そういう(無意識の)自信が、逆にアメリカなど諸外国への留学減少につながっている可能性があるのではないかなぁ~?と思ったわけです。

 

もしそうであれば、それはそれで結構なことなのですが、しかし、

歴史に漏れがないように、つねにおごり高ぶった中心国家は必ず消え去るということです。

まぁ場合によっては、数百年以上かかるわけですが、しかしそれでも必ず滅びてきたわけです。(バブル経済のおごりがそうであったように)

 

今、中国は、「眠れる獅子は目覚めた」他、過大な自尊感情によって周縁から中心にのし上がろうと必死です。

これもそのうち同じことを繰り返すような気がします。

 

そこで日本もまた(経済・軍事は別として)、自国文化への過剰な自尊感情=おごりによって、いつの間にか世界の方が先に進んでいた、中心から取り残されていた、という結果にならないよう、

その可能性を十分に考慮しなければいけないのではないか?と、ふと思ったわけです。

 

要するに、

・周縁=飽くなき好奇心に基づく〈他〉に対する吸収力中心になったとき、落とし穴

・中心=〈自己〉に対する絶対的な自信つねに落とし穴

 

珊瑚

(筆者注:これは他の方の書き込み対する回答)

 

>バンドだけは生バンドで、初音ミクがヴァーチャル(スクリーン&スピーカー)で歌うのもアリかも?(って実際あったりして)

 

うん。いわゆる初音ミクのコンサートというのはそれです。どこが主催するかによってバックバンドのレベルが異なるのですが、SEGAが主催するときのバンドや全体の構成は驚くほどレベルが高く(日本のトップレベルのスタジオミュージシャンが参加している)、それが世界的な高い評価にも繋がっているようです。

 

ベイビーメタルについても同様で、バックのメタルバンドのレベルの高さが、コアなヘビメタファンたちをも唸らせているようです。たぶん、あと半年もすれば、世界的なヘビメタのイベントにひっぱりだこで、目玉の大物バンドという格付けで呼ばれるような、そんな地位を確立すると思います。たかが15〜16の小娘達が。w そして会場全体のヘビメタファッションに身を包んだ怖いお兄さんやお姉さん達を、きゅんきゅん萌えさせるのです。おもろいね。w

 

 

珊瑚

(筆者注:以下gohanに対する回答)

 

文化的中心国家としてのアメリカが、徐々に、その地位を明け渡そうとしている。そしてそれは経済や政治における基軸としてのアメリカの力の衰退と重なっている。。。実はそんなことを、レディガガが日本をパクることは格好の悪いことではなく、それどころか日本を真似ることがオシャレなこととして認知されつつある・・・という点に見いだそうとしたのですが、うまく言葉にできないので、ツッコンで書くのを止めていました。どうやら私とご飯さんは、共に似たような問題意識をもって考えているようですね。

 

この件では、中国は、完全に周回遅れです。私たち欧米や日本が、100年前から経験し、反省して乗り越えてきたことを、今まさに、やろうとしている。

 

欧州においては第一次大戦が切っ掛けだった。日本は少し遅れたが、太平洋戦争を契機にした。中国はいま、それを経験しようとしてる。つまり、、、膨大な死者が出る。これは避けようがないと思います。それが以前からが度々いってることですが、、、中国は、この習近平体制の末期から、次期政権にかけて、とても大きな試練を迎える可能性が高いという、私の予言です。ウイグル問題、頻発しはじめたテロ。天安門のあと米国に亡命した運動家達の動き、南シナ海での覇権争い、、、徐々に、動乱の気配が増していると思う。

 

私の予言は、外れることも多いが、当たる時は、ずばっと当たるんですよね。緑虫さんは知ってると思うが。

 

>そこで日本もまた、自国文化への過剰な自尊感情=おごりによって、いつの間にか世界の方が先に進んでいた、中心から取り残されていた、という結果にならないよう、 その可能性を十分に考慮しなければいけないのではないか?

 

そうですね、慢心はいけませんな。大江健三郎福島瑞穂なら、ここで慢心と戦争を接続して頓珍漢な平和主義を訴えるのでしょうが、そういう脳天気な話しも退けたいところ。日本の健全な保守は、そこまでアホではない。

 

ただし、問題なのは、ネトウヨの動向です。明らかにおかしい。大正デモクラシーの愚民どもと同じレベルになっている。彼らを健全にリードするような、精神的支柱となるべき人が現れてほしいと思う。本来は、小林よしのりなどが適していたんだが、いまではネトウヨの愚民さに愛想をつかして攻撃ばかりしている。誰か、いいひとが出てきてくれないかな。ほんとに、いまのままでは、ヤバいね。

 

周縁/中心の構造は、主体性の問題と重なりますよね。ご飯さんの言われていることは、よくわかります。この自己中心化作用は、右にも、左にも現れる。そして、この中心化作用は、その収縮によって、周縁部分に必然的に摩擦やゆがみを産み出す。たとえば赤軍リンチ事件。自己中心化作用は『自己批判せよ』とかいって人殺しまで簡単にさせてしまう。そして外部に対する過激な闘争がおこる。浅間山荘事件のように。宗教では原理主義教条主義の形になって現れる。右翼についてはまあ、言うまでもないだろう。

 

だからこそ私たちは、中心化作用という原理的な力から、絶えず『逃走』しなければならないのですね。これを仏教ならば、執着を捨てよと表現するだろう。

 

 

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