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BABYMETALの謎を解く

妄想で突っ走ってます!(◎_◎;

戦う理由

ベビメタとアートとビジネスと

[約3900字ダヨ~ン]

 

本物か?偽物か? 

2016年4月1日、FOX DAY。

BABYMETAL 2nd albam『METAL RESISTANCE』は、その完成度ゆえ、世界中の音楽メディアから絶賛された。(一部、頭の固いNME誌・メタル評論家等除くw)

しかしながら、BABYMETAL結成の沿革が説明されるとき、まるでテンプレートがあるかのように、きまって添えられるのが
「彼女たちは最初メタルを知らなかった」「事務所によって企画されたもの」
「作られたもの」
といった言葉である。

 

ところが、である。

これが日本ではまったく問題とはならない。

なぜか。

文化・思想が違うからである。

アートとビジネス、芸術芸能と商業主義との関係性について、日本と西洋(※以降、「西洋=日本以外」という意で使用)とでは考え方、すなわち文化・思想的背景が根本的に異なるからである。

 

ことにボブ・ディランを端緒とするロック*1において、商業主義=ビジネスファーストは徹底的に忌避される。なぜなら、反権力・反権威・反商業(資本)主義の思想こそ、ロックのイデオロギーの基底を為し、彼らにとっての自由と平等の理念を実現するための根本思想であり、商業主義とは一線を隔すもの*2だからである。

 

したがって、西洋におけるアートとビジネスの関係性を語る時、西洋思想の自由と平等の概念抜きに語ることは出来ず、同様にロック(メタル)を語る時、自由と平等のイデオロギー抜きに語ることは出来ない。

 

なかんずく、メタルを信奉するメタルエリートにとって「メタルであること」は自己と生き方を規定する重要な指針ともいうべきものであり、
「真のメタルであるか否か?」という観点、すなわち、
「反権力・反権威・反商業主義か否か?」という物差し(=判断基準)は、
彼ら自身の生き方のみならず、自己の存立そのものに関わる一大事ということになる。

※もちろん〝ロックしている人〟もまたそう。

 

だからこそ、

「BABYMETALはメタルか否か?」「本物か偽物か?」
「BABYMETALが示すメタルの概念=思想は許容できるのか否か?」

という争点は、重大な問題として再三再四取り上げられ、世界のメタル界を真っ二つにした。(主に罵倒と非難応酬が中心ではあるがw)

 

さらにこの騒ぎは、世界の(ロックとは関係ない)一般紙にまで取り上げられるほどに注目され、そうして、BABYMETALは、わずか数年で、燎原の火の如く、賛否両論を巻き起こしながら、世界のメタル界に広がり認知された。

 

 

BABYMETALが現象となった真の理由

f:id:usikamo:20161031070559j:plain

 

メタルハマー元編集長、アレクサンダー・マイラス氏は、BABYMETALを指して、
これは「もはや現象だ」と指摘した。

 

というのも、ジャンルが全く異なるレディ・ガガなどポップアクトからも支持を受け、メタルを聴かない人々にも、世界的な広がりを見せたからである。*3


したがって、メタルとして「本物か偽物か?」という議論の範囲をすでに超えており、また単に「メタルか否か?」というジャンルで語ることが出来ない。
だからこそ「現象」としか呼びようがないわけである。

 

そこで「なぜ世界でウケタのか?」という理由について、
「さまざまな音楽ジャンルを融合したからウケタのだ」とか、
中元すず香の歌声が素晴らしいから」といった、
音楽的側面からBABYMETAL現象を探ってしまうが、しかしそれは「現象」と呼ばれる真の意味について、決して正鵠を射てはいないのではないか?
と某筆者(^o^)/ は考える。

 

なぜなら、楽曲に優れ、素晴らしい歌声を持ち、メガヒットを飛ばすアーティストは、メタルバンドを含め〝ごまん〟と存在するからである。
それにウケルだけなら、ピコ太郎でもPSYのおっさんダンスでもいいわけだ。
しかし、それらは「現象」とは呼ばれない。

 

BABYMETALを他のアーティストと峻別し、特徴づけるのは、やはり

①世界のメタル界を騒然とさせ、意見を真っ二つにした「メタルか否か?」という議論(主に罵倒と非難応酬が中心ではあるがw)があったからこそであり、
②その議論を起こさせた背景=ロックの思想・イデオロギーこそ、BABYMETAL現象を引き起こした真の原因なのではないか?

つまり、
BABYMETALという存在そのもの提示した、
今までのロックとは異なる、
まったく新しいメタルの概念イデオロギーにこそ、
真の秘密(理由)があるのではないか?

と、某筆者(・∀・;) は考えたのである、、、
(-。-)y-゜゜゜ソーナンケ?

 

 

BABYMETALはなぜ戦うのか

 

( ̄。 ̄*)ボー筆者は、前述の通り、文化的・思想的背景に基づく強力な影響力が、この現象の本質部分ではないか?との見解(というか仮説、とゆーか妄想w)に達し、延々とwこのブログに綴ってきた。

すなわち、

 

①ボブディランを端緒とするロックの思想、すなわち自由と平等の西洋思想に基づく、反権力・反権威・反商業(資本)主義のイデオロギーをテーゼとすれば、

②西洋思想を取り入れつつも、古来、日本が培い伝えてきた和の思想・調和の文化はアンチテーゼである。

③BABYMETALは、両者を止揚し、Kawaii(JPOP+アイドル)+Metal=BABYMETALという音楽表現をもって、世界の未来を変え得る新しいイデオロギーを提示した。

 

むろん、KOBAMETALも、最初からそんなことまで考えていたわけではないだろうし、意識すらしていなかっただろう。

 

しかし、世界の方が放っておいてはくれなかった。
なぜなら、新しい思想(未来の世界)はつねに古い思想(過去の世界)の敵であり、
必ず摩擦を起こし、拒絶し、対立を引き起こすからだ。

 

その西洋と日本の思想・文化が激しくぶつかり合う、
世界の表舞台で、世界の最前線で戦っているのが、
中元すず香水野由結菊地最愛の三人に他ならない。

 

そう、、、

まさに文字通り、三人の少女は、
真正面から世界の過去と現在を相手に、
新しい世界の未来のために戦っているのである・・・

 

 

と、ここまで書いたんですが、えー、実はまだ前振りデス(汗
ホントは、前回予告のアートとビジネスについて、上記の③の観点から述べる予定だったんですが、一向に本論に近づいていかないw 時間も足りなくなってきたw やぱ、全体の構成考えてから書かんとw 思い付きはイカン|д゚)

 

ってことで、かなり中途半端で申し訳ないのですが、今回はここでおしまい<(_ _)>

次回、未定~♪

 

■あと、BABYMETALアンテナサイトの管理人様へ
 もしこれ見てたら、登録解除お願いします!
 登録・紹介して頂けるのはもちろん大変ありがたいのですが、私としては、ネガティブであってもポジティブであっても、関心をもって共有して頂いたほうが嬉しいのです。まぁ~、最近クォリティー〝だだ下がり〟で、ってゆーかもともと妄想&テキトーなんですけどw
何卒よろしくお願いします<(_ _)>

■〈メモ〉自由と平等、アートとビジネスについて→*4

 

 

*1:この記事を書いている時点で、ボブ・ディランノーベル賞受賞を了承したという一報が入ってきた。
このニュースに対し、ヤフコメを見ると「ガッカリ感半端ない人」がかなりいらっしゃるようである。
これらの反応から、いかにノーベル賞委員会のような〝権威〟というものに対して、人々が反感を持っているか、また〝押し付けられたもの〟ではなく、〝自己意志による自由〟を欲しているか、が理解できる。
ボブ・ディラン本人はともかく『ボブ・ディラン
が反権威等、ロックの象徴として、実に多くの人々に認識されていたことがよくわかる出来事だった。

*2:だからこそ、ロックとポップスは明確に区分される

*3:しかも、BABYMETALのように激しいメタルを基調としながら、高揚感・楽しさ・幸福感といったポジティブな感覚を、直接体感させるメタルバンドは存在しない。

*4:16~17世紀以降、西洋哲学により、人間個人の権利と尊厳を重視する考え方が発達し、社会における個人の自由と平等のあり方が追求された結果、現代に至る民主主義・人格権等の思想が確立した。
本来、西洋型の自由と平等の概念は対立する。
なぜなら、個人の自由に何の規制もかけず、好き勝手放題の状態で放置すれば、他の人の行為や権利が侵害され、逆に、全体の平等性・公益性を重んじ、守るべき社会的ルールを設け規制を掛けるならば、個人の自由は制限されるからである。
アートを個人の自由を最大限に解放した結果生じた、人間の持つ創造性の究極の発露とするならば、ビジネスは、個人の利益を追求するために他人の利益を搾取するものとなり、結果、その他大勢の権利、つまり自由と平等性を侵害するものとなる。
無論、企業における公益性・社会的倫理・福祉(つまり富の再分配・還元)は、社会から要請されてはいるものの、実際には、格差・機会不均等などによる不平等感が世界的に拡大しており、政治的な主要課題となり、さらには地域間・人種間・国家間の紛争の原因ともなっている。
政治学者フランシス・フクヤマ氏は、「民主主義はその理念において失敗しているのではなく、実行において間違っている」と指摘する。がしかし、個人的には、この西洋型の自由と平等の思想そのものの前提が、対立するものとして考えられていることがそもそもの間違いであり、日本型の調和と和に基づく自由と平等こそが本当の民主主義をもたらすのではないか?と考える。

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