BABYMETALの謎を解く

妄想で突っ走ってます!(◎_◎;

ベビメタ視点でアートとビジネスの本質を考えたーそのいち

[約3300文字]

 

人の前にはそれぞれの道があり、
人は何かを探し求めて、それぞれの旅路を歩む。

 

ときに、その道は交わることがある。
偶然の出会いに人は驚き、語らい、笑い、
そして喜びをともにして、
珠玉のようなひと時を過ごす。
その時間(とき)が二度と訪れないことを知りながら…

 

そうしてまた一人、また一人、
旅路を歩み始める。

 

だが、やがて人は知る。
決して自分は独りではないということを。
その想いこそ、探し求めていた自分自身なのだと・・・

 

 

ワーッ ,,, (≧д≦)クチャイ

まーたこんな中二病みたいなん書いてたら、かみさんからクサイクサイって言われそー
でーも、2016/11/7放送『YOUは何しに日本へ?』。
ご覧になられた方も多いかと思いますが、

 

www.dailymotion.com

 

エガッタですぅ~(T^T)

 

東京ドーム公演の感動もさることながら、リーさんのお話、とても感動的でした。
11万人の、それぞれ異なる道を歩んできた人々が一点で交わった、その中心にBABYMETALが存在する。

 

おそらく・・・、
すぅちゃん・もあちゃん・ゆいちゃんたちも、この番組を観てたと思うんですが、もしかしたら、本人たちが一番、リーMETALさんのお話しを聴いて感動してるんじゃないでしょうか?

 

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誰にも否定し得えない 決して失われはしない

 

 

サテサテ、こんなん観ちゃうと、こんな妄想分析ブログなんか意味あるんかい?と思ってしまいますがー、ま、ちゃっちゃっとやっつけちゃいませう。

と、ゆーことで、なんだっけ?えー、アートとビジネスか、←また構成考えてない|д゚)w

ではまずはアートの成り立ちからいってみよー!

※なお、毎度ではありますが、専門家ではありません。参考図書なんかなんのその、超テキトー解釈&思い込みで推論・妄想してるだけなので、そこんところヨロシク~ <(_ _)>
※アートですが、芸術と芸能(エンターテイメント)の両者を含むこととします。
※BABYMETALアンテナサイト管理人さん、やっぱ見てないなー!もぉ~お願いしますよ~

 

アートとビジネスの
成り立ちと本質について

 

アートとビジネスの成り立ちと本質を考えるならば、本来、両者は、どちらが主だとか従だとか言えず、不可分の領域にあることが理解できる。

すなわち、肥沃な大地に食料を求めて人々が集まり、次第に村落・都市など社会が形成されて人々の生活に余裕ができると、必然的に仕事以外の精神的娯楽(祭祀なども含む)が求められる。
その際、娯楽を専門とする自立した職能集団が形成された。

 

①集団であることから分業体制が敷かれ、
②専門性を持つことから、
 先見的な感性による秀でた芸術性およびプロとしての完成度=「芸」が求められ、

③自立することから商業的要素は当然であり必須となる。

 

このことは世界中どこの地域、いつの時代でも同じであろうし、 事実、現代でも映画界などエンタメ業界は、この通り機能し、 人々に良質な「精神的娯楽」を提供し、 プロ集団として認知され対価を得ている。

 

 

調和から対立へー概念の変貌 

 

しかし、いつしかアートとビジネスは対立する概念として考えられるようになった。

こちらの記事を見てみよう。

hamankarn.blogspot.jp

 

この記事は、フィリピンの地方紙に掲載されたもののようだが、要は、

①アートが中心でなければならないが、しかし、お金(ビジネス)もなければ、アート活動は出来ないのだから、

②「芸術を中心としてビジネスを構築するのであって、その逆ではない」

という主張である。

 

この中で、記者の言う〝その逆〟の成功例として、BABYMETALの例を上げている。
タイトルと合わせて考えれば、「芸術という心がない」代表例として、BABYMETALを上げているわけである。(まぁ、なんというか、いちメイトとしては迷惑な話であるが。)

いずれにせよ、この記者の考え方もやはり、アートとビジネスは対立するもの、という大前提を踏まえて、理論を構築していることが理解できる。

 

 

では、なぜ、このように変化してしまったのだろうか?
それは、前回も少々触れた通り、自由と平等の思想イデオロギー確立にともない、資本主義と科学技術が発達したからである。*1

つまり、資本家によって、アートは単に利潤を生み出す商材として商業主義と結びつき、巨大な利益を生むエンターテイメント産業(富裕層の金儲けの道具)へと変貌したからである。(映画・音楽産業、絵画取引、等々)

 

本来、庶民の精神的娯楽を主目的とするアートが、ごく一部の富裕層の懐を潤すためだけの金儲けの道具として利用されることは、貧富の格差をますます拡大するだけなのだから、多くの人にとって決して容認できることではない。

したがって、自由と平等を求める庶民にとって、当然、アートとビジネスは対立するもの、ということになる。*2

 

しかし、前述の通り、対立しているという考え方は、決してアートとビジネス本来のあり方ではない。本来のあり方でないのであれば、それは間違っているということだ。


では何が間違っているのか。
それは対立という概念を導き出した、そもそもの自由と平等というイデオロギーが間違っているのではないか?
筆者の推論では、自由はともかく平等という概念に問題があり、自由と平等ではなく、自由と調和、あるいは自由と平和とすべきではないか?、と考えている。

そこで次回、その平等について述べようと思う、、、

え?次回?

 

 

 

*1:17世紀以降、ホッブズ・ルソー・ロック・ヘーゲルら西洋哲学者らにより、自由と平等の思想が確立し、資本主義と科学技術も発達するとともに、貧富の格差も拡大した。

どういうことか?

自由の思想は、王権の搾取や農奴などから人々を解放し、誰でも財産の私有と職業を自由に選択することを可能にした。だがしかし、それは誰でも起業家になれると同時に、そうなれなかった労働者にとって、単に自分の労働時間を切り売りする自由を得たに過ぎず、したがって、資本家と労働者の富の格差=不平等が拡大した。

マルクス理論による共産主義革命の無謀な実験失敗後、現代哲学者らは、この近代哲学思想を徹底的に批判したが、これに代わる新たな思想を産み出せず、現代の資本主義・民主主義に欠陥があることを知りつつ、手をこまねいている。

結果、現在では、マルクスが予言した通り、世界資本主義ともいうべき状況下にあり、野放図な自由が無制御に放任され、国家を超えた巨大企業が世界を覆い、さらに格差が拡大している。これに対し、人々の不満や反感を煽り、利用する大衆迎合主義も、世界的に蔓延し、トランプ氏や各国の保守政治家(日本では共産党民進党他)が、反グローバル化保護貿易政策を主張して権力闘争を繰り返している。これも近代哲学の自由と平等のイデオロギーの延長線上に生じたものである。

*2:ことにロックやフォークなどにおいて、自由と平等思想に基づく主張=メッセージ発信を重視するため、自分が作曲したものを演奏し表現しなければならない、商業主義=金儲けを目的とした音楽はロックじゃない、といった考え方が主流となった。

面白いことに、逆に日本においては、近年、ビジネス面に重点が置かれ、歌唱力やダンス表現など、当然表現者が持つべき「芸」が軽んぜられ、ことにアイドル業界では「素人っぽさ」や水商売に近い「接触商法」というビジネスモデルが重視されるようになった。(芸能の質の低下)

ちなみに、BABYMETALの場合は、本来の「芸能・エンタメ」の本質に照らし合わせれば、原点に回帰した「職能集団」であることが理解できる。

したがって「作られた」「操り人形」といった批判自体、芸能・エンタメという人々が求める「娯楽の本質」を理解しない、極めて表層的な批判であると言える。

むろん、すぅゆいもあの三人がBABYMETALが企画された当初「メタルを知らなかった云々」批判も、上記に当てはめて考えるならば、三人とも幼少時から「表現者」という「芸能のプロ」を目指してきたのであるから、まったくもってアサッテの方向の批判であることはまちがいない。

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