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BABYMETALの謎を解く

妄想で突っ走ってます!(◎_◎;

ベビメタ視点でアートとビジネスの本質を考えたーそのに

ベビメタとアートとビジネスと

[約3900文字]

 

まさか!のトランプ氏の次期大統領当選で世界を驚愕させましたが、実のところ、現在の世界の流れから眺めると、そんなに意外なことではありません。
イギリスのブレグジットもそうでしたが、ポピュリズムナショナリズムへの潮流が、今の世界一般のトレンド⁉であるからですね。


( ̄。 ̄*)ボー筆者でさえ、去年、経済学者ジャック・アタリ氏の楽観的な予測に反し、
「EUの実験(統合)は失敗し解決しないんじゃない?
 なぜなら、根本的に人々の心(考え方)に起因する問題だし~」
(ひそかに)反論してました。←プチ自慢(゚д゚)キタ―!

BABYMETAL論理学講義、、、ってなんやねん? - BABYMETALの謎を解く

 

ど~も学者とか知識人と言われる人々は、富裕層が多いせいなのか浮世離れしてるせいなのか、一般庶民が日常的に肌で感じていることや考えていることに鈍感なよーな気がします。(-。-)y-゜゜゜←で、アンタどーなん?

 

ま、いずれにせよ(汗)新しいイデオロギー(考え方・価値観)が登場しない限り*1
真に世界を動かしている庶民の価値観が変わらない限り、ポピュリズムナショナリズムを利用する為政者中韓など国家含む)は次々と登場し、格差よる不満~嫉妬~諍いは、行き着くところまで行かなければ解決しないと思います。


新しいイデオロギー、いまだ誰も知らない価値観。
それはBABYMETAL現象の中にこそ、答えがある。
そういう仮説をもとに今回のシリーズは進めています。
※ただし誰も知らないんだから、答えも出るかわからない。 ヘ(゚∀゚ヘ)ヘラヘラ~
※あと硬い内容です。しかも合ってるかどうかもよくわかりませんw 朝だというのにすでに頭がフラフラです(> ̄.  ̄<)ゲッソリ お暇な時にでも読んで戴ければ幸いです!


では第二回目、スタート~

 

平等に対する誤解

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ニーチェの系譜学によると、隣人愛を説く道徳、平等を求める民主主義は、ルサンチマン(怨恨)から生まれたという。つまり、強者や富める者に対する弱者や貧しい者の、嫉妬心や憎しみの心から、平等を求める思想や世界観が生まれたのだという。


最近でも、数年前に1%の人々が世界の99%の富を独占している、不公平だ!という抗議デモが話題になった。

政治でも、大きい政府を目指すか?小さい政府をめざすか?が*2、政党の政策を分かつ主要な論点となる。

だがしかし、いずれの政策も単に富の配分方法が異なるというだけであり、前述の99%デモ同様、富の多い少ないが平等を図る基準となっている。

 

しかし、よくよく考えると、人間個人の尊厳という観点から平等性の本質を考えると、いくつかおかしな点にあることに気が付く。

 

第一に、強制的であろうと隣人愛からであろうと、どんなに平等性を保とうとしたところで、社会組織が構築されるところでは、完全な平等という状態はあり得ないからだ。

なぜなら、会社であっても集団であっても、組織が出来るならば、そこには必ず責任者や管理者が設けられ、地位や権限の上下関係が生ずるからだ。

上下関係があれば、権限(権力)や賃金の格差は必ず生じる。そこに人が集まり、社会構造が構築される限り、格差は避けようがない。
だから、富や権力に関しては、完全な平等ということはあり得ない。*3

 

第二に、平等という概念の本質は、金や物の所持の多寡ではない、ということだ。
たとえば、いくら金や物、権力を持ち得たとしても、それが必ずしも幸福感・満足感につながるわけではない、ということは誰でも知っている。
いくら富を平等に配分したところで、決して「人間の幸福」にはなり得ない。

 

人間の幸福。
つまり、
①人間の尊厳に基づく「何ものにも束縛されず満足している状態」を、個人の自由という概念の本質*4であるとするならば、
②平等という概念の本質は、その自由という権利を、誰しもが、日常生活のあらゆる機会において等しく享受できる条件、ということになる。


したがって、
平等とは「機会の平等」であり、決して「富の多寡」が平等性の基準ではない。

貧富の格差解消を求める平等観は、ルサンチマンの心に発した平等観に他ならない。
※無論、身体的状況等による社会的弱者は、それこそ人権に基づき社会全体で救済されねばならないことは言うまでもない。

 

私たちは自らの心の闇ルサンチマンと戦わねばならない 

現代では、発達した科学技術により、生活・娯楽・医療などさまざまな面で、私たちは多大な恩恵を享けている。
少なくとも民主主義が確立した先進国では、たとえ非正規雇用であっても、生活費を切り詰め(仕事の貴賤を選ばず)一年二年働くならば、ある程度のものは買えるし、海外旅行もできる。各種資格を取得してスキルアップし、好きな職種に挑戦することも自由だ。
なんならベビメタグッヅに銀行口座ごと捧げることも可能だw

 

しかしながら・・・、
前節の平等観の取り違えが、嫉妬心を煽り、人々をしてルサンチマンと化す。
ニーチェは、弱者の屈折した世界観を捨て、ルサンチマンを乗り超えるとき、私たちは自由で満ち足りた人生を送ることができる、と主張する。 

この絶対に避けることの出来ない格差が存在する世界で、それでもなおかつ「生を肯定」し「力の意志」を持って力強く生きる姿。
すなわち、それこそニーチェが求めていた人間像=超人であった。

 

 

今、豊かになったが故に、格差による嫉妬・差別意識による憎悪の嵐が、世界のあちらこちらで吹き荒れている。
長らく、ロックも反権力・反商業主義等のスローガンで若者の心を煽り立ててきた。
しかし、すでに述べた通り、これは明らかな間違いだ。
反戦はいいが、他は平等の本質からすれば、単にルサンチマンの主張に他ならない。
戦うべき真の敵は、自由の権利(教育の機会均等や職業選択・言論の自由、等)を阻害する価値観であるべきはずなのに・・・

 

 

基本的人権があらゆる機会において保証され、平等に、満遍なく行き渡る社会(環境)であるならば、誰でも好きなように、自分の能力を磨き、自分の能力に応じて自分の人生を企画して、自由に生きることが出来る。 


しかし、そういう恵まれた環境であったとしても、たとえ一度でも、他と自分を比較して「私にはこれがない」といって嫉妬心で心を覆いつくすならば、あっと言う間にそれまでの充実感・幸福感は吹き飛んでしまう。
勝つか負けるか、多いか少ないか、そういう基準でしか判断することができなくなる。
しかも、いつでもサバイバルゲームの勝者はほんの一握りだ。

 

 

だからこそ、戦わねばならない。
もしも真に自由に生きたいならば。
自由に大空を羽ばたき、飛びたいと願うならば・・・

 

BABYMETALは主張する、存在そのもので。

1.貫く強靭な意志

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2.己の心との戦い

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3.許す心。認める強さ。愛。

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次回予告!
ベビメタ視点でアートとビジネスの本質を考えたーそのさん
『ストレスについて』

なぬ?Σ( ̄0 ̄;

 

〈次回参考資料:調和についてー岡本太郎氏の言葉

互譲の精神で、お互いに我慢し、矯(た)めあって表面を保つのではなく、己の生命力をふんだんに伸ばし、だからこそ他のふくらみに対しても共感をもち、フェアに人間的に協力することが重要であり、真の「調和」とは「激しい対立の上に火花を散らした、そのめくるめくエネルギーの交換によって成り立つべきもの」と述べている。

(参考:「太陽の塔」が見守る人類の「開発」の行方 | 集広舎

 

*1:イデオロギーがなぜ重要なのか?」
私たち一般人にとって、イデオロギーなどという単語は、普段の日常生活で言葉にするどころか意識に上ることすらないが、実は、私たちの日常生活に密着し、人生を大きく左右している。
このイデオロギーという単語を、価値観と置き換えるとわかりやすい。
そうすると、たとえば、今問題になっている残業時間など働き方に関する価値観、あるいは男女の性別選択に関する価値観や夫婦別姓をどうするか?とか、少年法や成人年齢など、ほぼあらゆる人間の社会生活活動の意思決定の場面に関わっていることが理解できる。
そしてその意思決定の判断基準となる重要な〝物差し〟が、個人の尊厳=人格権に基づく自由と平等・民主主義の思想である。
だから、私たちは普段知らずに、近代哲学のイデオロギーを自分のものとして実践しているわけだ。
だがしかし、その近代哲学のイデオロギーは、この巨大システムと化した社会において、すでに限界に達しており、その矛盾が世界の至る所で露呈している。

*2:①大きい政府=弱者を含め、富を公平に社会全体に再分配するためには規制を設けなければならないという考え方
②小さい政府=規制を解除し自由経済を拡大すれば景気もよくなり、社会全体に富が行き渡るという考え方

*3:むろん、個人の尊厳=人権を蔑ろにした「違法な労働環境」や、「不公平な条件に基づく過度な富の偏在」は、社会的に是正されなければならない。
・「違法な労働環境」=いわゆるブラック企業など
・「不公平な条件に基づく過度な富の偏在」=資本家が持つ圧倒的有利な条件。いわゆる富が富みを生む状態

*4:ちなみに哲学における自由論は多々ある。
デカルトスピノザ・ヒューム・カント・ミル・ベルクソンキルケゴールサルトル・バーリン・ローティ・ドゥルーズデリダラカン、等々。
しかし、いずれも形而上学的、または形式論理上の範疇にとどまる。要するに、机上の〝エライ人〟たちの空論で、現実的・実際的ではない。〝浮いちゃってる〟わけだ。

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