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BABYMETALの謎を解く

妄想で突っ走ってます!(◎_◎;

ベビメタ視点でアートとビジネスの本質を考えた―そのご(最終回)

ベビメタとアートとビジネスと

[約3700文字]

 

前回から間が空いてしまいました。

なかなかまとまった時間がとれないうちにレッチリツアーが始まってしまい、FANCAM観るのでさらに忙しくなるわーメタリカ前座のビッグニュースがはいるわーで、それにそもそもブログ書き書きメンドイし~つまんないしー「このまま放っておこうっかな~」(←こらこら)と思ってたら、c~geさん*1から「書けー!(_#)」ってオドサレておりますので(・∀・;)ウヒャ
アセアセ書くことにしまーす!
ヨシ!これで言い訳はカンペキ!( ̄_ ̄;)

 

と、ゆーことで
最終回、日本人の価値観・世界観+ベビメタとアートとビジネスシリーズまとめます!、、、まとまるかなw

 

 

 

日本人が持つ伝統的な感性-オノズカラ

 

和を以て貴しとなす

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日本人が持つ最大の特徴は?というと、この聖徳太子厩戸皇子)の十七条憲法の一、「和を以て貴しとなす」を思い浮かべてしまうが、実は違う。

和を大切にする、共同体の秩序を優先する、ということはどの民族であっても同じで、それほど抜きんでて特筆すべき性質ではない。

 

逆に、十七条憲法の筆頭にあげ、ことさら和を強調しなければならなかったということは、それだけ、支配階級(貴族や豪族等)において不和・争いが頻発していたということであり、それは歴史に示される通りである。海外の歴史も同様。*2

 

では、なにが日本民族の最大の特徴なのか?
中国人にも朝鮮人にもなく、当然欧米人もないもの。
それは「オノズカラ」を至上とする感性。
現代の日本人も受け継ぐ「オノズカラ」。
BABYMETALの三人にも見える「オノズカラ」。
今回はこの「オノズカラ」を中心に考えてみる。 

 

山川草木 悉皆成仏

 

この言葉、目にされた方も多いかと思う。
だがしかし、この言葉。
日本人独自の感性から作られた仏教用語であることは、案外知られてはいない。


この仏教用語は、もともとインド大乗仏教で4世紀頃に作られた涅槃経の一節、
「一切衆生 悉有仏性」が大元であり、
「すべての生き物は、ことごとく悟る心の働き(精神作用)を等しく持っているのだから、誰でも仏に成る機根があり、平等に救われる可能性を持っているのだ」
というほどの意味である。
したがって、本来の意味は、インドや中国では、心の働きを持つ人間や動物に限定した考え方を示すものだった。

 

がしかし、これが日本に伝わると「一切衆生」が「山川草木」まで拡大され、仏性を持つ対象の範囲が、心の働きのない石や草木など事物まで広がり、一切が仏性を持ってるんだ、成仏できるんだ、という思想に敷衍された。(根拠として唯識という理論が背景にあるがややこしいので割愛)

この考え方が日本仏教界に広まったのは、主に鎌倉時代天台宗を中心としたため、天台本覚思想*3と名付けられた。

 

サテ、今回特に注目したい点は、この本覚思想の正誤云々ではなく、その背景をなす
なぜ日本の一般民衆に広く受け入れられたのか?という条件にある。

なぜなら、その本覚思想を当時の一般民衆が容易に受け入れたという事実は、容易に受け入れるだけの共通した価値観・世界観を、もともと日本人は持っていたということであり、それこそが日本人の特質を示すものだからである。

 

 

そこでその条件について考えを巡らすと、すぐに思い付くのが「八百万の神」である。
すなわち、当時の日本の一般民衆は、山や川・石や草木・道具や物・言葉に至るまで、自分が関わる世界の一切が魂や霊・命といったもの、いわゆる「すべてのものに八百万の神が宿っている」という感性・感覚を持っていた。
だからこそ、似たような発想を持つ本覚思想を、なんの違和感もなくすんなりと受け入れることができた。

 

そうしてさらに突き詰めて考えるならば、この「すべてのものに命が宿っている」という感性は、そのまま、周囲の世界(=大自然)との日常的な関わり合いの中で認識される感覚なのだから、必然、大自然によって〈自己〉が生かされているという価値観・世界観へとつながっていることが解る。*4

 

つまり、言い換えるならば、
かつて日本人にとって、〈自己〉とは、大自然(世界)から生まれ、自然を構成する存在のひとつとして受け止められ感じていた、ということだ。

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だとするならば、なぜ日本人は、古来、純粋で穢れのない清らかさを最上のものとし、無意識に尊び重んじてきたのか?その理由も明確になってくる。

すなわち、
自然には一切の作為がないように、自己もまた「オノズカラ(自ずから)シカリ(然り)であるとき、自己もまた一切の作為のない自然そのものとなるから、である。

オノズカラ(自ずから)シカリ(然り)=自然

・自然体であること
・無欲恬淡=我欲がなく無私であること
・ありのままであること、他

日本人は心の深奥の無意識に、純粋で清らかな〈オノズカラ〉を求める心を持っているのである。 

 

※なお、ここで述べていることは、あくまでも自然を上位としてしまう感性・感覚についてであり、宗教としての神道への信仰心や、幽霊や妖怪は実在するのかしないのか?というようなことではありません、、、え~、ただし松本人志のゾッとする話は好きです、、、関係ない?ヤッパリ?( ̄▽ ̄;)

 

3.11とジブリ作品を繋ぐもの

 

先に〝かつての日本人にとって〟と述べたが、実は現代日本でもいまだ脈々と日本人の心の底流に息づいている。

たとえば、3.11の際、「我慢」という言葉とその姿勢が世界の人々を驚かせたが、これも〈オノズカラ〉から生じている。
つまり、おおよその日本人は、災害時など非常の際、身勝手な行動や欲を押さえ、協調性を無意識的に優先してしまうが、これは〈オノズカラ〉の感性が利己的な我欲を穢れ(悪)として抑制し(=我慢)、それが他に対しては逆に利他心として働くため、全体を思いやり、秩序を大切にしようとする日本人の価値観へと結び付いているわけである。

また、そういう非常時だけではなく、ジブリ作品のトトロやもののけ姫他、自然との調和(というより回帰かな?)を描いた作品が人気を博すのも、その感性を求める心と価値観を、意識するともなく現代日本人が持っていることの証左に他ならない。

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このように、
この感性は(筆者が知る限り)日本民族以外には見られない感性なのだが、、、
しかし、知性を絶対視する西洋思想の合理主義と科学が発達した現代では、知性によっては決してつかむことのできないこの感覚が薄らいで来ており、また同時に価値観も揺らいできていることも、また確かな事実なのである。

 

No thinking! Just feeling!

 

ここまで来たらすでにおわかりのことと思う。

 

SU-METAL・YUIMETAL・MOAMETALは、
まさに〈オノズカラ〉を体現する。
無私であり、純粋であり、
一切の我欲のない〈オノズカラ〉そのもの。

 

彼女たちの全身から、
泉のように溢れる清らかさ、
決して言葉では綴れない純粋さ、
そうして、
無私の熱意に心打たれ、魂を揺さ振られ、魅了される。

274 

※前座開始時、まだ少ない観客を前に、全身全霊で盛り上げようとするMOAMETAL
 涙せずにはいられない

 

彼女たちこそ、現代に甦った八百万の神々の象徴であり、
日本人の持つ感性・価値観を全身で体現する。

 

ライブで舞うBABYMETALと一体となるとき、
私たちもまた〈オノズカラ〉へと還るのである

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ベビメタ視点でアートとビジネスの本質を考えた―まとめない

えーちょいと時間が足りなくなってきたのでまとめヤメトキマス|д゚)
まぁ、このシリーズ、ここまで(もしも)読んで頂けたなら、アートとビジネスは不可分の領域にあり、またその本質はその人の生き方そのものにあることは、ご理解頂けることと思います。 

〈オノズカラ〉で生きるBABYMETALの三人がビジネスライクであるはずがなく、もしもアミューズの幹部が〈オノズカラ〉の日本人の心を忘れ、金だけを目当てにするならば、そのときはキツネ様とその子分(メイトたちw)の制裁が下るだけのこと。

ま~、いずれにせよ、キツネ様は日本の価値観を体現するベビメタを遣いとして、世界の誤った価値観を正し、人々の心を変え、変革を起こそうとしている。
そのように見えます。
だからこそ、行く先々でこれからも戦いは続くことでしょう。

 

 

 

*1:70年代はリッチー・ブラック・モア、現在はBABYMETALをこよなく愛す元ロングヘアーの中年メタラー。川▼_▼川(←今は知らん)。

*2:当時のヨーロッパ(ガリア)大陸でも、中国大陸でも、どこでも凄惨な戦いが行われていた。いうなれば、徳がないから徳を強調する儒教が中国で発生し、愛がないから愛を強調するキリスト教がヨーロッパを席巻し、和がないから十七条憲法が作られた、といえる。

*3:本覚とは、本来、覚(悟)っているというほどの意味だが、実は、仏教関係者からは評判が悪い。というのも、本来、皆悟っていて、山や川などこの世界のすべてが悟りの表象=世界であるならば、わざわざ修行する意味がないのではないか?信仰したり戒律を護持する必要はないのではないか?という疑問&矛盾が生じるからである。

*4:それが「もったいない」という感性になり、食物(生命)に対して「いただきます」という感謝の言葉になった。

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